電子書籍氣比宮社記
福井新聞より。
平成二十年度 特別展
氣比さんとつるが町衆 〜氣比神宮文書は語る〜
敦賀市立博物館のご尽力で氣比宮社記が初公開された。
今からちょうど30年前、僕は氣比宮社記の存在を教えて頂いた。
分からないまま漢文を眺めている内に意味が理解できるようになってきた。
表意文字ってことか!
古本屋にはないと思い込んでいた社記をネット検索すると、・・。
京都の古本屋さんから、売りに出ていた!
僕は、・・ ホームページに電子書籍氣比宮社記を掲載することを。
1740年 平松周家が青蓮院一品尊祐親王からの要請
1740年 平松周家が青蓮院一品尊祐親王からを命じられ、
1763年 失われた旧記の引用も含め、氣比宮社記を編纂。
皇紀2600年(昭和15年)氣比宮社記が発刊。
宮地直一東京大学教授の序。
「古く仲哀天皇の行幸に起って、昭和聖代の今日に至る久しき間を通じ、
北門に事のある度ごとに渇仰せられたのは氣比大神の稜威である。
或は政治に、或は外交に、時には軍事に関して神威を発揮せられ、
常に上下の崇信を蒐められたのも、我が大神にまします。(以下省略)」
<北門に事のある度ごとに渇仰せられたのは氣比大神の稜威である。>
<我が大神にまします。>
氣比宮社記の古代文字を発見!
1763年 失われた旧記の引用も含め、氣比宮社記を編纂。
1945年 皇紀2600年の佳節に発刊。
氣比宮社記巻八278ページ記載の古代文字と落合直澄著古代文字考。
1645年 大祝平松家吉古伝切紙に氣比宮古代文字が記載。
1888年 落合直澄著「古代文字考」は明治21年刊行なので、
実に、氣比宮社記と古代文字考は243年差のタイムライン。
古代文字考には、三輪社の額字の説明書きにあるが、信じ難いとしている。
落合直澄氏では、第17章沖縄字・琉球神道記で、字は琉球古体の字だと主張。
百の字もたらした天人が天に戻る時に多くの字を持ち去った。
残ている17文字と酷似している。
私は、氣比神宮の御神体ではと疑う。
あの、、昆布ロード・・・
比較すると。右は社記の古代文字、左が古代文字考です。
ファイルダウンロード <表紙・目次・古図>
序文 (2016-04-04 ・ 1530KB) |
liburaはpdfの数の制限があります。
liburaはpdfの数の制限があります。 福井県産業情報センター嶺南支所の先生にお願いして表紙を変えました。
画像をPDFにしたり、電子書籍のPDFを分割や削除するフリーソフトを駆使して、作って頂きました。たっぷりの2時間掛かりましたが、完璧な出来栄えです。liburaの凄さは、計り知れない。
ドキュメント情報は、投稿者の誇りだ!まだ、巻一ですがご期待ください。
その時の僕のコメントです。
今年は平成24年古事記1300年と云うことは、持統天皇と藤原不比等が作った日本書紀1300年まで、あと8年で。
この日本書紀には、越前国司が白蛾(シロキヒヒル)を献上したので持統天皇から笥飯神が神領を加増と記されている。
僕が、氣比神宮を日本一有名なお社にします。
承和11年(844)11月1日に敦賀半島沓浦にある常宮(じょうぐう)神社に渡御するお祭り「総参祭」が始まった、と明確に記載してあります。
常神(つねかみ)浦にも土地の伝承話がある。神功皇后が熊襲退治の時、常神浦によって風波を凌がれご自分の守護神をこの浦に祭った。
ある年、敦賀からの祭礼船が途中で難破し、多くの人が死んだので敦賀に遥拝所を設けた。その遥拝所が今の常宮神社であると云う。
正月祭儀・二月四日・三月朔日・四月・五月・六月寅日・十五日田植神事・晦日までの詳しい神事内容です。
7月から12月大晦日までの祭儀内容です。潮翁講義之序文・願主御供献上祝詞・恵美須講祭・鎮疫祭・鎮火祭・遊行砂持道作之式・臨時?祭之儀式・御竈祭・中臣祓・三科祓
なんと、サービス終了。。
最近、電子書籍氣比
の検索語でこのホームページを閲覧して頂いている方がいますので、
第四巻を作り直してliburaにアップロードしましたが、ず〜と できませんでした。
すると、
liburaは2016年5月末日でサービスを終了しすべて削除されます。
コメントが発表されました。
無料の電子書籍をネットで調べていますが見つかりません。
このホームページにはpdfを載せることができるので4月2日より取り組んでいますが、
pdfサイズ大きいとして掲載できません。
もう少し頑張ってみますので、よろしくお願い致します。由兵衛(平成28年4月3日日曜日)