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気比宮社記の古代文字考

氣比神宮社記の”古代文字”と落合直澄著「古代文字考」。

氣比神宮社記と古代文字考

氣比神宮社記に記載されている”古代文字”

落合直澄著「古代文字考」

大阪博覧会出品石鏡

落合直澄著古代文字考に記載されている”古代文字”

氣比神宮ゆかりの”ご神像”か?

年代では氣比神宮社記が1740年八木澤内蔵吉房夜話の序に披見とすると140年以上前から神道で使われている事になる。1645年とすると240年以上。

実に125年前!古代文字考は明治21年(1888)刊行。

「氣比神宮社記」は、1763年(元大宮司兼大祝)平松周家が、氣比宮社記9巻として完成。

平成二十年、敦賀市立博物館で衝撃的な特別展が開催された。それが、

「平成二十年度特別展氣比さんとつるが町衆〜氣比神宮文書は語る〜」

この氣比神宮社記第八巻には、

1638年  奉納大鏡・
1645年  西門に大鳥居を建立
 同  年  大祝平松家吉古伝切紙に氣比宮古代文字が記載

この本を10年以上前に京都の古本屋さんで買いました。まさか、ホームページに掲載するとは!

落合直澄著「古代文字考」は明治21年刊行。

古代文字考には、三輪社の額字の説明書きにあるが、信じ難いとしている。

落合直澄氏では、第17章沖縄字・琉球神道記で、字は琉球古体の字だと主張。

百の字もたらした天人が天に戻る時に多くの字を持ち去った。

残ている17文字と酷似している。

私は、氣比神宮の御神体ではと疑う。あの昆布ロード・・・

氣比神宮寺

氣比神宮寺のなぞとは!

 霊亀元年(715)  大日本史<藤原武智麻呂伝>

和銅八年正月、従四位上に叙す。〜中略〜 自足して、心を物の外に託す。遂に比叡山に登り、留まりて日をわたる。ここに、柳樹一株を植える。「後の人をしてわが遊び憩い処を知らしめる」という。この年、左京の人、瑞しき亀を得たり。
和銅八年を改めて、霊亀元年とす。公、嘗て夢に一奇人に遇う。容貌常ならず。語りて曰、「公、仏法を敬慕すること人神共に生きる知る。幸くばわが為に寺を造りて、わが願いを助け給え。われ宿業に因りて、神となりてまことに久し。今、仏道に帰依し、福業を修行せんと欲えども、因縁を得ず。来りて告げたり。」公、疑うらくは、これ気比神ならん。優婆塞久米勝足を取りて、高木末に置き、因りてその験と言い給う。実なりと知りて一寺を樹てき。今在る越前国神宮寺是なり
 
785年 最澄:求法を祈願
788年
 最澄:林社の霊鏡を奉遷
804年 空海:宝刀を奉納・渡海安泰祈願
807年 空海:大般若経を神庫に奉納 
810年 空海:勅により造営奉行となる
816年 空海:高野山を請い、勅許を賜る
816年 空海:金神社の霊鏡を奉遷
828年 采女角鹿直福貴子に正税稲500束を給う
835年 気比神が正三位勲一等 
838年 神宮寺の修造が始まる (〜845年)
850年 気比神が正二位
855年 神宮寺に常住僧を置く
858年 仏像造立料として稲一万束を給す
858年 気比神が従一位
860年 神宮寺に十僧を置く
867年 角鹿直真福子が外従五位に叙せられる
893年 この年までに正一位勲一等
980年 雷火により神宮寺が焼ける

敦賀市立博物館:平成20年特別展で一般公開

すごい!初めての一般公開です

氣比神宮の解明はこの一般公開から始まる!

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