朱の大鳥居

1987年8月竣工だから、今から28年前か!!

< 朱塗りの大鳥居は美しいですね〜 >
<前回1987年の修理は塗替えと部分修理>
工事報告書6ページ記載の総事業費47,400,225-
国庫補助額30,810,000- 
福井県補助5,529,000- 
敦賀市補助5,529,000- 
所有者負担5,532,000- 
雑収入           225-
ざっくり!!
 総事業費 4740万円 内訳
 国補助  3081万円
 福井県   552万円
 敦賀市   552万円
 氣比神宮  553万円

1987年 重要文化財氣比神宮大鳥居保存修理工事報告書より。

造営に係る史料は存在しない、と注がある。

しかし、造営終了を正保二年七月十一日、八月五日の神事執行。
大工大夫次郎丸衛門、副大夫左衛門とも敦賀人であること。
塗り替えは敦賀御器屋仲間が担当したとする。

「氣比宮社記」より、
正保二年七月十日西門之大鳥居一基令建立。

1645年7月10日・11日 建立されたのは確かです。
1757年 屋根葺替・塗替修理
1768年 屋根葺替修理・柿葺を銅板葺に改めた
1778年 塗替修理
1849年 大修理 周囲に縁石を廻し礎石をもう一段重ねた。
1853年 塗替修理 前回の漆塗が悪く弁柄塗に改めた
1901年 大修理 弁柄塗を漆塗に戻した・国宝指定・額奉納
(明治34年)
1931年 修理
1945年7月12日 戦災により本殿他消失
1963年 修理(塗替・部分修理)
1987年 修理(塗替・部分修理)

興味深いのは報告書第三章第三節 匠明と比較検討している事です。

匠明(しょうめい)は、江戸時代初期に平内政信がした木割書。全5巻。巻末には、1608年(慶長13年)の平内政信による奥書、1605年(慶長10年)の平内吉政(政信の父)による奥書がある。
著者の平内政信は、天正11年(1583)生まれであり、活躍したのは、江戸初期。幕府作事方大棟梁に登用される。父とともに、15年かけてこの『匠明』を著す。日光東照宮の寛永度造営にも参画した。

建築物の各部の比例を「木割」といい、このような比例は時代によって変化し、各時代それぞれ特定の比例を持っている。そのため建築史家が年代を推定する要点となる。桃山時代に書かれたもので、完備した木割書としては日本最古のもの。日本建築の意匠を分析的、歴史的に研究する一番の足がかりとなる。

木割とは、柱間を基準にして各部材の寸法を比例的に決定していくシステムとの事らしい。京間などもそれにあたる。時代によっても変化していくものだという。
各時代は、それぞれ特定の比例を持っている。
匠明の現代版の監修をした、太田博太郎は「建築史家が遺構から年代を推定するのは、細部の曲線や、構造技法などにもよるが、時代によって木割が違っている点が、決定の要因」と語る。

この報告書では匠明の花表木砕之事項と大鳥居の木割がどのような関係にあるか検討されています。(詳細は本書をご覧ください。敦賀図書館にあります。)

「その結果、端的に言うとある程度部分的には近似値を示す事項もあるが、その反面ほど遠い数値を示すものもある。全般的に大鳥居の立ちが高い。笠木、貫など横架材の長さの北率は大きく、その寸法の決定は前述のとおり違った方法がとられているほか、木柄においても明らかに大鳥居の方が大きい。結論的に言えることはあくまでも氣比神宮大鳥居は別の比例によった寸法で建立されたと見るべきでだろう。」

第一章概説

造営の沿革は詳らかでないととして、
702年今の地に遷座して本宮とし、四社を建立。
「氣比宮社記」より、
 810年 造営
1054年 諸社殿炎上の記録あり。
1191年 同上
1256年 同上
1336年 同上 
1506年 同上
1541年 朝倉孝景造営
1556年 類焼
1559年 朝倉義景造営
1570年 織田軍勢に神殿悉く焼かれ神宝まで奪われる。
1571年 朝倉義景造営か 
1603年 結城秀康100石寄進
1604年 諸殿造営の山口祭勤行
1607年 本宮諸社の遷座
1612年 神明両宮建立
1614年 松平忠直 大太刀具足衣を奉納・炊殿造営
1615年 本宮の余材で惣社神庫建立
1616年 拝殿建立 
1616年 母堂(岡山御前)湯立釜米50俵白銀百枚奉納
1620年 兒宮再興造営
1634年 酒井忠勝が家光より小浜藩を拝領
1637年 白銀百枚寄進平殿再興造営中門造営
1638年 酒井忠朝大鏡一面奉納
1645年 西門之大鳥居一基建立
1651年 西方之御子神七社二社再興造営