意欲作!古事談発見

                彼岸は真西に沈む。  かつては神宮寺入口の四足門

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心清き者であれば、誰でも神に接することができるという、古神道の思想を取り入れた。
      



古神道の考えは、清新さをもって最澄に受容された。





鶴岡静夫著「最澄の宗教の成立」








フォトショップを使って大事な所は赤字で、・・エヘン!

氣比神が比叡山に?図書館で写してきました、持ち出し禁止なので!

丁寧に、心を込めて・・
国史大系・巻18 古事談 第五神社佛寺
な〜ぜ! 海の牡蠣(かき)??
最澄さんがビックリ!貝殻が沢山出てきた。

藤原武智麻呂伝(家伝下)僧延慶

藤原左大臣、諱は武智麻呂。太政大臣史(ふひと)の長子で、
母は、蘇我蔵(そがのくら)の女(むすめ)なり。
天武天皇即位九年(680)4月15日に誕まれき。
幼くしてその母を喪い、血の泣(なみだなが)してくだけそこなわれ、
水も口にはいらずして、ほとほとにたましいを滅ぼさむとしき。
大宝元年(701)内舎人としたまう。22歳なり。
慶雲三年(706)7月大学頭となる(27歳)。
慶雲五年(續日本紀では和銅元年)(708)4月従五位上。
6月近江守と為る。
歴史では近江守は、従五位下多治比真人永栄。越前守は、従五位下高志連村君

<近江国は、宇宙(あめした)に名有る地なり。地広く人おおくして、国富み家そなわる。
東は不破に交わり、北は鶴鹿(つるが)に接き(つき)、南は山背に通いて、此のみやこに至る。
水海清くして広く、山の木繁くしてたけたかし。其の土は黒つちにして、その田は上の上なり。>

〜中略〜

「伊吹山の頂に登りて望みたい。」と言った。地元の人は、「むかしヤマトタケルノミコトが、
伊吹山の神に害されて白鳥になり、空を飛び去りき。」と進言したが、武智麻呂は聞かなかった。
ヤマトタケルノミコトと同じ蜂に襲われた。滋賀山寺に詣り、非礼を顧みて贖罪した。
受戒長斉して、神(くす)しき劔を造らしめ、天皇に献った。大変お慶びになった。

自足して、心を物の外に託く。遂に比叡山に登り、留まりて日を弥(わた)る。

和銅八年を改め霊亀元年とす。公、昔夢に一の奇しき人に遇いき。容貌常に非ず。
曰ひたまわく、
「公、仏法を愛で慕うこと、人と神と共に知れり。幸まくは、吾が為に寺を造りて、
吾が願いを助けすくへ。吾宿業に因りて、神となりてまことに久し。今、仏道に帰依し、
福業を修行せんと欲へども、因縁を得ず。故、来たりて告げたり。」

公、是は氣比神ならむかと疑い、答えむと欲すれども能わずして覚む。
よりて祈り曰く、
「人と神と道別にして、隠れたると現れたるとと同じにあらず。昨夜の夢の中の奇しき人、
是誰か知らず。神もし験を示さば、必ず為に寺を樹(た)てむ」
是に、神 優婆塞久米勝足を取りて、高き木末に置き、因りてその験といいたまう。
公、実なりと知りて、遂に一寺を樹てき。今、越前国にある神宮寺是なり。

氣比宮社より、抜粋しました。

715年 藤原武智麻呂が氣比神宮寺を建立。
 
785年 最澄が氣比神宮で、求法を祈願。
788年
 最澄が御子神林神社の霊鏡を、奉遷。
804年 空海が氣比神宮に、宝刀を奉納し渡海安泰祈願。
807年 空海が氣比神宮に、大般若経を神庫に奉納。 
810年 空海が勅により氣比神宮造営奉行となる。
816年 空海は高野山を請い、勅許を賜る。
816年 空海が御子神金神社の霊鏡を奉遷。

828年 采女角鹿直福貴子に正税稲500束を給う。
835年 気比神が正三位勲一等。 
838年 氣比神宮寺の修造が始まる (〜845年)。
850年 気比神が正二位。
855年 氣比神宮寺に、常住僧を置く。
858年 氣比神宮寺に、仏像造立料として稲一万束を給す
858年 気比神が従一位。
860年 氣比神宮寺に、十僧を置く。
867年 角鹿直真福子が外従五位に叙せられる。
893年 この年までに正一位勲一等。

980年 雷火により神宮寺が焼ける。

2015年 氣比神宮寺1300年。