なぞは解けた!桃太郎

< 僕の桃太郎さんです。 >
清水焼の桃太郎神像は手書きなのでお顔が同じものが、一つもありません。大事になさって下さい。

                             リニュアルしています。

              コンテンツのリニュアル中です、・・時折、覗いてネ!

           僕は図書館でこの一行を、偶然見つけました、・・エヘン!
 
本殿の紅梁鼻にある珍しい桃太郎の彫刻がある所から、発祥の地は此処だ。

当時の氣比神宮宮司櫟本憲昌(いちのもとのりまさ)氏が、全国に発表しています。
(熊本県生。皇典講究所卒業。氣比神宮宮司の後、宗像神社藤崎八幡宮の宮司。生没年不詳。)
大正4年刊行の敦賀郡誌には前宮司となっているので、1915年以前
昭和に氣比神宮大鳥居の修復がありました。その時の記録本に、
大正9年10月発刊 「日本古建築菁華」(岩井武俊編)が、
転載されているので、画像データでご紹介致します。

 ⇩ 第二次大戦で罹災。
本殿罹災
日本古建築菁華
本殿正面図
これだ!
 絵葉書

             越前若狭の伝説        杉原丈夫編 (松見文庫)

敦賀市図書館にコピー冊子があります。
敦賀の伝説を書き留めた大事な書籍なので、ご覧ください。


仲哀天皇が蒙古軍と戦う話が語り継がれている。題名は<蒙古来攻>。
特に激戦の場所を角鹿八景とし、
荒血山・矢田野・関原・越の中山・角鹿山・気比の海・帰山・五幡
地理的に評価すると、<敦賀は戦場(いくさば)>である。

氣比神宮社記曰
天平20年(748)異賊が西海に来襲した11月11日夜敦賀地震。
久志川の浜に数千の緑松が忽然と出現し翠色高く聳え、
白鷺が樹の上に群集し、白い旗のよそおいをなす。
此夜西海の賊船悉く覆り、賊徒海水に溺れる。

後宇多天皇弘安4年(1281)蒙古肥前国を襲う。
このとき、敦賀の地山嶽鳴動し氣比神林に数千の白鷺が集まる。
伏見天皇正応年中(1288〜1293)
賊船は覆り賊徒は溺れると朝廷に神瑞を奏達している。

キーワードは、異国征伐。

氣比神宮桃太郎は、陣羽織・軍扇姿。

古図の武徳殿は、異国征伐武射祭典之弓場。

氣比神宮古図

桃太郎を、探せ! 桃太郎を、探せ!
氣比神宮の凄さは、武徳殿にある。そして、ここが桃太郎の発祥の地。

氣比神宮古図より

要注意の武徳殿
四足門から神宮寺
東の大鳥居
本殿・九社の宮
角鹿神社

5

社記には「前代未聞の珍事・宮社殿屋悉く倒破壊。
正中2年(1325)11月21日子の刻」と記す。
この地震は琵琶湖東岸の北にある柳ケ瀬断層で起き、
深坂峠・山中峠の越前側が大破し又延暦寺の常夜灯や竹生島の一角も崩れた。
翌年総工費19790貫600文で造営したのが上の各社殿。
注進には角鹿姓五名と大宮司大中臣姓の計六名が連名。
この記録は10年後にも波紋をなげかける。
延元元年(1336)太平記に登場する気比の弥三良太夫(氏治)大宮司気比太郎斉時の名はない。
敦賀志も是非を知らずとしている。