意欲作!空海奉考察
810年とは
薬子の変(くすこのへん)は、平安時代初期に起こった事件。大同5年(810年)平城上皇と嵯峨天皇とが対立するが、嵯峨天皇側が迅速に兵を動かしたことによって、平城上皇が出家して決着する。平城上皇の愛妾の尚侍・藤原薬子や、その兄である参議・藤原仲成らが処罰された。なお名称について、かつては藤原薬子らが中心となって乱を起こしたものと考えられており、「薬子の変」という名称が一般的であった。しかし、律令制下の太上天皇制度が王権を分掌していることに起因して事件が発生した、という評価がなされるようになり、2003年頃から一部の高等学校用教科書では「平城太上天皇の変」という表現がなされている。
空海は、嵯峨天皇側の勝利を祈念し、以降日本仏教界一の実力者になる契機となった。
3
809年 空海35歳
嵯峨天皇が24歳で即位し、重んじられる。
10月4日「世説」8巻のうちの秀文を屏風にして嵯峨天皇に献上。
810年 空海36歳
「東大寺要録」によれば、この年から813年まで東大寺の別当職に任じられる。
9月に薬子の乱。皇太子である高丘親王は廃され、出家して空海の弟子となる。
811年 空海37歳
11月9日乙訓寺の別当に任じられる。
嵯峨天皇が24歳で即位し、重んじられる。
10月4日「世説」8巻のうちの秀文を屏風にして嵯峨天皇に献上。
810年 空海36歳
「東大寺要録」によれば、この年から813年まで東大寺の別当職に任じられる。
9月に薬子の乱。皇太子である高丘親王は廃され、出家して空海の弟子となる。
811年 空海37歳
11月9日乙訓寺の別当に任じられる。