気比神楽
孝元天皇の比較
日本書紀
古事記
1・クワシヒメノミコト
1・クワシヒメノミコト
1・クワシヒメノミコト(カスガノチチハヤヤマカヒメ) 2・カスガノチチハヤマワカヒメ(十市県主らの祖娘マシタヒメ)
2・ヤマトクニカヒメ<妃>
2・ヤマトクニカヒメ<妃>
3・オホヤマトクニアレヒメノミコト(ハエイロネ)
御子1)〜3)3名
御子1)〜4)4名
1)ヤマトトトヒモモソヒメノミコト
1)ヤマトトトヒモモソヒメノミコト
1)ヤマトトモモソビメノミコト
<日本書紀記述なし>
<日本書紀記述なし>
<古事記本文ヒコサシカタワケ(日子刺肩別命)>
2)ヒコイサセリヒコノミコト
2)ヒコイサセリヒコノミコト
2)ヒコイサセリビコノミコト
吉備氏の祖
3)ヤマトトトワカヤヒメノミコト
吉備氏の祖
3)ヤマトトトワカヤヒメノミコト
3)ヤマトトビハヤワカヤヒメ
3・ハエイロド<妃>
3・ハエイロド<妃>
3・ハエイロド
1)ヒコサシマノミコト
1)ヒコサシマノミコト
1)ヒコサメマノミコト
2)ワカタケヒコノミコト
2)ワカタケヒコノミコト
2)ワカヒコタケキビツヒコノミコト
古事記本文 日子刺肩別命は、吉備氏の祖より上位に位置する。
古事記本文 日子刺肩別命は、吉備氏の祖より上位に位置する。
平成御代・角鹿神社
角鹿直福貴子・角鹿直真福子による仕業か。
福貴子・真福子の
仕業だ!
角鹿直福貴子・角鹿直真福子
石塚資元著「敦賀志」より
日本逸史:天長五年(828)越前国正税五百束を采女角鹿直福貴子に給う。
三代実録:貞観九年(867)采女角鹿直真福子に外従五位下を給う。
角鹿直福貴子の正税五百束とは
828年角鹿直福貴子の越前国正税五百束の価値は。
830年上毛野陸奥公*山が修道により越前国正税三百束鉄一千廷。
832年秦乙痲呂が修道により越前国正税三百束。
嶮道や荒道を作る以上の価値とはなんだ!!
角鹿直真福子・外従五位下
867年3月10日角鹿直真福子が外従五位下を給う。
1・福貴子と真福子は叔母と姪の関係か。
2・「福」は角鹿直一族を解き明かすのか。
3・みずのおを解き、子を宿したか。
4・宗教的国造となったのか。
氣比神宮社記は采女角鹿直福貴子・真福子を語らない!!!
関東大震災をきっかけに、承徳本古謡集が発見されたのが1924年。
1099年の奥書があるこの古謡集は、825年間京都近衛家に
秘蔵されたままだった。その中に采女を解くカギがあった。
1・福貴子と真福子は叔母と姪の関係か。
2・「福」は角鹿直一族を解き明かすのか。
3・みずのおを解き、子を宿したか。
4・宗教的国造となったのか。
氣比神宮社記は采女角鹿直福貴子・真福子を語らない!!!
関東大震災をきっかけに、承徳本古謡集が発見されたのが1924年。
1099年の奥書があるこの古謡集は、825年間京都近衛家に
秘蔵されたままだった。その中に采女を解くカギがあった。
承徳本古謡集神楽歌:氣比神楽
氣比神楽 (2009-10-09 ・ 229KB) |
97・「御子と言へば」とは
御子と言へば 父の御子かは すら神を しの宮と言る きの御子や おけ
御子と言へば すら神を しの御子は いろの いとの御子や おけ
氣比神楽の一番大事な97番のいくつかのなぞを考える。
<第一発見者佐佐木信綱博士説を紹介する>
氣比神宮には、三座の末社があるので、それをうたったものらしい。
「すら神」が嫡子のはずだけれど、どうゆうわけか「しの宮」とよばれる
「きの御子」の方が父神の御寵愛を受けておいでだ。
御子と言へば すら神を しの御子は いろの いとの御子や おけ
氣比神楽の一番大事な97番のいくつかのなぞを考える。
<第一発見者佐佐木信綱博士説を紹介する>
氣比神宮には、三座の末社があるので、それをうたったものらしい。
「すら神」が嫡子のはずだけれど、どうゆうわけか「しの宮」とよばれる
「きの御子」の方が父神の御寵愛を受けておいでだ。
三座の末社とは?1078年社記を公開する
氣比神宮社記:226ページ (2009-10-17 ・ 113KB) |
氣比神宮古図 (2009-10-17 ・ 1216KB) |
「すら神」が嫡子のはずだが・・
「すら神」が嫡子のはずだが・・・とは。
しの御子とは。四宮の内の本宮東北の惣社は応神天皇。
日本書紀・神皇正統記では仲哀天皇の第四子が応神天皇。
きの御子とは紀氏のことで石清水寺に宇佐八幡宮(八幡神と応神天皇の付会)を勧請したのも紀氏行教。
いとの御子とは筑前国風土記逸文にも逸都で生まれたと記載。
しの御子とは。四宮の内の本宮東北の惣社は応神天皇。
日本書紀・神皇正統記では仲哀天皇の第四子が応神天皇。
きの御子とは紀氏のことで石清水寺に宇佐八幡宮(八幡神と応神天皇の付会)を勧請したのも紀氏行教。
いとの御子とは筑前国風土記逸文にも逸都で生まれたと記載。
吉備海部直(きびあまべのあたい)
仮想金林寺落慶式・坂井郡郡司大領外正八位下三国真人
少領外正八位下勲十二等海直大食からも覗える様に「海直」がキーワード。
「古事記」仁徳妃黒日売は吉備海部直氏の娘とある。
「岡山県史研究」には5世紀から6世紀にまたがって造られた古墳は、
吉備の中でも牛窓に本拠をもち、塩生産にもたずさわっていた
海上交通の専門集団で、水軍でもあった海部を統括した氏族の
吉備海部直氏としている。
うん、間違いない。
少領外正八位下勲十二等海直大食からも覗える様に「海直」がキーワード。
「古事記」仁徳妃黒日売は吉備海部直氏の娘とある。
「岡山県史研究」には5世紀から6世紀にまたがって造られた古墳は、
吉備の中でも牛窓に本拠をもち、塩生産にもたずさわっていた
海上交通の専門集団で、水軍でもあった海部を統括した氏族の
吉備海部直氏としている。
うん、間違いない。
清和天皇:お子様の乳母として外従五位下を授けられたか?
日本三代実録卷十四 貞觀九年(八六七)三月十日庚戌
進大和國從一位勳六等石上神階加正一位。周防國從四位下玉祖神。
三坂神並授從三位。從五位下仁璧神從四位下。
无位當麻眞人靜子。安倍朝臣全子。紀朝臣原子。
爲奈眞人永子並授從五位下。角鹿直眞福子外從五位下。
<紀氏ルーツより>
紀朝臣全子 陽成天皇の乳母 無位より外従五位下
進大和國從一位勳六等石上神階加正一位。周防國從四位下玉祖神。
三坂神並授從三位。從五位下仁璧神從四位下。
无位當麻眞人靜子。安倍朝臣全子。紀朝臣原子。
爲奈眞人永子並授從五位下。角鹿直眞福子外從五位下。
<紀氏ルーツより>
紀朝臣全子 陽成天皇の乳母 無位より外従五位下