なぞは解けた!松原駅

一ノ御子剱ノ神社

  氣比神宮内剱神社

七社之御子神の第一の御子神。一説には往昔、莇生野村より勧請とする。御祭神は姫太神尊一座。第一ノ宮之王子(ミコ)と謂う。

ただし第五之王子宮は天利剱神社(あめのとつるぎのじんじゃ)仲哀天皇が氣比神に剱を奉納し霊験があったので祀られる。続日本後紀承和七年(840年)従五位下延喜式に載る式内社。

莇生野村の剱神社を勧請した理由を、
木簡の鴨部・山君・少君から考察する。

莇生野村・剱神社

    莇生野地区剱神社
鴨部は鴨県主(かものあがたぬし)の支配下の部民。山君は燃料となる山の木々を管理する仕事。少君は火を管理する仕事の遺称。莇生野村の地名は鉱物採取や加工による字が多い。

字名鴨ノ助は要注意です。

食物神氣比神が金属神剱神社を勧請した理由はここにあります。

泉地区の石灰山開発のために。
  
 その地図がこれだ。 

莇生野村・泉村・鞠山村

剱御子寺神護景雲四年

 <神護景雲4年9月11日剱御子寺に鍾を奉納したその理由は?>
4月6日天皇が由義宮より平城京に還る。身体に不調を覚える。 
8月1日日蝕があった。伊勢大神宮に幣帛と赤毛馬を奉納。鹿毛馬を若狭彦神と宇佐八幡の神宮に奉納。
8月2日中臣葛野連飯痲呂を遣わし氣比の神と気多の神に幣帛を奉納 
8月4日称徳天皇が西宮の正殿で崩御五十三歳・同日(光仁天皇を)皇太子
8月8日一七日東大寺西大寺で誦経  8月16日二七日薬師寺で誦経
8月17日高野天皇を高野山陵に葬る。道鏡法師は御陵に仕え庵に留まる
8月21日密かに皇位を窺う心があったが刑罰を加えずに造下野国薬師寺別当とした
8月23日三七日元興寺で誦経  8月30日四七日大安寺で法会
9月7日五七日薬師寺で法会   9月11日剱御子寺鍾  
9月14日六七日西大寺で法会  9月22日七七日山階寺で法会国ごとに僧尼を招請し行道・誦経。京と諸国で大祓
9月23日服喪を止める。
10月1日年号を宝亀と改める。
10月8日去る9月7日吉備朝臣真備の辞職願いに対する詔



氣比神と剱御子神

692年持統天皇6年9月21日越前国司、白蛾奉れり。
   同  年   9月26日白蛾を角鹿郡の浦上の浜に獲たり。
             故に、封笥飯神に増すこと二十戸、前に通す。
敦賀軸のコンパスでは、泉地区の石灰岩だろう。巻30の「持統朝」を紀朝臣清人が選述したのが715年以降、山田史御形や音博士の続守言と薩弘恪の日本書紀選述者の名前が賑々しく連なるのに、誤字とは考えにくい。
715年
霊亀元年藤原武智痲呂が越前国に氣比神宮寺を建立
(藤原武智痲呂伝) 
731年
天平3年12月10日氣比神に従三位の料200戸を充てる
(新抄格勅符抄神封部) 
764年恵美押勝の乱
 
765年
天平神護元年9月7日氣比神に封戸22戸・剱御子神に10戸を与える
(新抄格勅符抄神封部) 
770年
宝亀元年8月幣帛を越前国氣比神と能登国氣多神に奉納
770年神護景雲四年9月11日剱御子寺鍾 
771年宝亀2年10月16日越前国の従四位下勲六等の剱神に食封20戸と田2町を与える
(続日本紀) 
776年宝亀7年9月16日初めて越前国氣比神に宮司を置き、従八位官に準じさせた
(続日本紀)


氣比神は692年頃から藤原不比等一門(武智痲呂・押勝)によって氣比神宮寺や仏教色の強い御子神を勧請し、

本殿七座・御子神七座の聖数七座のカミノヤシロを作り上げた。聖数七に潜むものとは!

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意美痲呂が持統紀に登場する。
天武天皇が亡くなった翌月に大津皇子謀反に連座大舎人中臣朝臣臣痲呂の名前が日本書紀の初見。
氣比神宮宮司の祖となる神祇官意美痲呂が、ジュ銭司の初代長官に抜擢される。

日本書紀・持統天皇6年(692)9月越前国司白蛾を献れり。勅して曰く、
「白蛾(しろきひひる)を角鹿郡の浦上の浜で獲たり。
故、封(へひと)をケヒ神に増すこと二十戸(はたへ)。前に通わす」

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文武天皇二年(698)
 3月 5日 因幡国が銅鉱石を献じた。
 6月 8日 近江国がびゃくばん石を献じた。
 7月17日 伊予国が白鉛を献じた。
 7月27日 伊予国が鉛の鉱石を献じた。
 8月19日 藤原朝臣(鎌足)に賜った姓は、その子不比等(鎌足第西二子)に継承させる。意美痲呂(鎌足の従兄中臣国子の子)は、氏族本来の神祇の事を掌っているから、藤原の姓から旧姓の中臣にもどす。
 9月25日 周防国が銅鉱を献じた。
 9月28日 近江国に金青、伊勢国は朱沙・雄黄、常陸備前伊予日向の4国には朱沙、安芸長門の2国は金青・緑青、豊後は真朱を献上させた。(顔料)
11月 5日 伊予国が白鉛を献上した。
12月 5日 対馬嶋司に命じて、金の鉱石を精錬させた。
  同   三年(699)
 3月 4日 下野国が雌黄を献じた。(黄色の顔料)
12月20日 ジュ銭司を設け直大シ(従五位上相当)の中臣朝臣意美痲呂を初代長官に任じた。
  同   四年(700)
 2月 8日 丹波国に命じて錫を献上させた。

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風土記逸文「気比の神宮は宇佐八幡と同体である。
八幡は応神天皇の垂跡で氣比の明神は仲哀天皇の鎮座である。」

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