平清盛
野坂山 と 平清盛・重盛親子
歌が渓(たに)という敦賀の伝承です。 杉原丈夫編「越前若狭の伝説」より、
平清盛が、敦賀から江州海津まで七里半の間の山を掘り抜き、
北国の舟を大津へまっすぐに通るようにせよと、嫡男平重盛に下知した。
それで、重盛公は敦賀の関に三年間滞在し、野坂岳の歌をよんだ。
ここを歌が渓という。
「見るたびに富士かとぞ思う野坂だけ消えぬるようにつもるしら雪」
敦賀には、・・なんと! 重盛公の位牌や五輪塔がある
エ〜〜
歌が渓(たに)という敦賀の伝承です。 杉原丈夫編「越前若狭の伝説」より、
平清盛が、敦賀から江州海津まで七里半の間の山を掘り抜き、
北国の舟を大津へまっすぐに通るようにせよと、嫡男平重盛に下知した。
それで、重盛公は敦賀の関に三年間滞在し、野坂岳の歌をよんだ。
ここを歌が渓という。
「見るたびに富士かとぞ思う野坂だけ消えぬるようにつもるしら雪」
敦賀には、・・なんと! 重盛公の位牌や五輪塔がある
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野坂山の尾根は一ノ岳・二ノ岳・三ノ岳・山頂となります。
![](/files/libs/312/201701121025188948.jpg?1537938551)
平家物語の大塔の段
平家物語巻第三・大塔建立
平清盛は高野へのぼり、大塔をがみ、奥院(弘法大師空海の廟所)へ参ると、
老僧が現れ、「大塔はもう修理が終わりました。ところで
安芸の厳島、越前の気比の宮は金剛界・胎蔵界の垂迹ですが、
気比の宮は栄えているけれど、厳島はないも同然に荒れ果てています。
このついでに奏上して、修理なさいませ。それだけでもなさるなら、
あなたの官位昇進は他に及ぶ者もありますまい。」といって立ち去った。
平清盛は高野へのぼり、大塔をがみ、奥院(弘法大師空海の廟所)へ参ると、
老僧が現れ、「大塔はもう修理が終わりました。ところで
安芸の厳島、越前の気比の宮は金剛界・胎蔵界の垂迹ですが、
気比の宮は栄えているけれど、厳島はないも同然に荒れ果てています。
このついでに奏上して、修理なさいませ。それだけでもなさるなら、
あなたの官位昇進は他に及ぶ者もありますまい。」といって立ち去った。