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写経生敦賀石川

私が持っている正倉院展図録です。平成12年・14年・16年を探しています。

御即位二十年記念 第61回 正倉院展

続々集正倉院古文書第四十六テツ第六巻は、写経生の報酬などに関する規則が載っている。  踊る踊る写経生敦賀石川たちのお給料や借金証文・休暇願が詳しく載っている。驚きの内容だ!

第六十回:表紙は金銅幡(こんどうのばん)

幡は仏堂の内外に吊り下げて使用する荘厳具のひとつ。正倉院古文書正集第39巻は、大宝二年(702)筑前国嶋郡川辺里戸籍です。702年の記憶だ!

第五十九回:表紙は紫壇金鈿柄香炉

光仁天皇の亡くなった時(781)「紫壇御香爐一具」施入か?  剱御子寺鐘との関係は? 私のホームページの中心人物<郡司角鹿直綱手>の名前を発見!  収集の動機です。

第三十八回:表紙は孔雀文刺繍幡

東大寺献物帳<聖武天皇七七忌法会の時皇太后の遺愛品奉献記>を掲載。大宝二年の現存する最古の戸籍(豊前国仲津郡丁里)は、総勢30人に班給された口分田が三町七段二十四歩。

平螺細背八角鏡(玄宗皇帝の頃流行国家珍宝帳に記載)

聖武天皇遺愛の刀百口は「押勝の乱」の時ほとんど宝庫から取り出された。現在は三口残るだけ。 大宝二年御野国戸籍掲載戸籍は氏姓の確定など六年に一度の基本台帳が載っている。

碧地金銀絵箱(仏への献物を入れた箱)

ここには<天平二年度越前国正税帳>を記載・正税帳は、三通作成一通は国残り二通が中央の民部省と中務省に送られる。その二通(同内容の断簡二枚)が宝庫に伝わり、他には類を見ない。

紫壇木画挟軾.聖武天皇遺愛品の豪華な肘つき

奈良時代には官立写経所が設けられ大量の経典が書写された。 天平時代は皇后宮職・造東大寺司(東大寺造営の役所)に属した正倉院古文書は、この写経所(敦賀石川たち)の帳簿である。

黄金瑠璃細背十二稜鏡おうごんるりでんはいのりょうきょう

「国家珍宝帳」の梓弓八十四張・槻弓六張は、あの有名な「押勝の乱」を平定するために宝庫から出されたまま戻されなかった。  <僕は、たいへん興味深い優婆塞貢進文を見つけた。>

正倉院宝物の成立(正倉院文書の構成)

正倉院展図録より

神亀元年に即位された聖武天皇の治世必ずしも平穏なものではなかった。
理由の一つには臣下である藤原氏から妃を迎えられたため保守系豪族の
反発もあったとされる。政治的に安定していたとは言い難い。
都も平城京から恭仁京、恭仁京から信楽宮、信楽宮から難波宮、難波宮から
もとの平城京へと遷都を繰り返した。

天平勝寳八歳(756)五月二日、聖武天皇は五十六歳で亡くなった。
その葬儀は仏に奉るが如くにおこなわれたと「続日本紀」に記されている。
七七日の六月二十一日、光明皇后は聖武天皇が大切にしていた六百数十点の品々と
六十種の薬を東大寺の大仏に献納した。
これが正倉院の始まりである。

奈良時代から平安時代にかけて、各地の役所や寺院などには主要な財物や什宝類を
収納する「正倉」が設けられ、それを垣や築地で囲んだ区画を「正倉院」と呼んでいた。
法隆寺などにも正倉院があったことがしられるが、現存するのは東大寺正倉院の正倉だけで、
正倉院は今では固有名詞として使われている。

正倉院宝庫には、多くの宝物とともに約一万二千点ともいわれる多量の文書が伝えられている。
特異な文書も含まれているが、その大部分は東大寺の写経所の事務的な帳簿類である

 

始まりは・・天平八年皇后宮職の写経所

正倉院展図録より

光明皇后が亡き父母(藤原不比等・橘三千世)のために書写させた一切経は、
玄?が唐から請来したばかりの五千余巻を底本としている。
天平八年(736)皇后宮職の写経所で書写が始められた

書写事業は一時中断するが、天平十三年閏三月に再開し、天平勝寳八歳まで続いた。
書写総数は七千巻に及んだ」と推定され、うち七百五十巻が聖語蔵に伝わる。

奈良時代には官立の写経所が設けられ、大量の経典が書写された。
官立の写経所は天平年間には皇后宮職・造東大寺司(東大寺を造営するための役所)に属した。

写経所には、経典を書写する経師(けいし)、校正を担当する校正、表紙に外題を記す題師、
表装を担当する装潢(そうこう)、事務をおこなう職員など、多くの人々がいた。

<写経生敦賀石川は、このホームページのもう一人の主人公です。

写経所は出来高払いで、やり終えた仕事の量に応じて給与が支払われた。
一日平均すると、経師はおよそ四千字(七紙)を書写し、約三十五文得る計算になる。

しかし、脱字や脱行があると給与を差し引かれた。
天平十六年七月の「写疏所符」をみれば、一字の脱落で一文
一行の脱落で二十文も引かれる仕組みになっている。

二行の脱落だと、え〜と 四十文。 平均給与が確か、三十五文だから・・・。 赤字?

福井県史資料編<踊る踊る敦賀石川登場で〜す。どうぞ!>

福井県史資料編<敦賀石川>
?は3巻223頁。敦我石河は232頁。
たいへん興味深いのが3巻426頁〜459頁。誤写では?

           福井県史資料編を東京大学史料編纂所のデータベースで確認。
            (東京大学には、リンク願いをしていないので検索してください)
 3巻  223 敦石河 232tif  11巻  361 敦賀石川 361     
         252 敦石河 252          385 敦賀石川 385               
     280 敦賀石川 310        411 敦石川 411          
     382 敦賀石川 382        418 敦賀石川 418    
     519 敦賀石川 519        435 敦石川 435     
     529 敦賀石川 529        473 敦賀石川 473    
     632 敦賀石川 
633        485 敦賀石川 485    
 
4巻    9 敦賀石川   9     12巻   2 敦賀石川   2       
      22 敦賀石川  22         22 敦賀石川  25       
     104 敦賀石川 104        165 敦賀石川 165(名前が逆さま)   
 8巻   480  敦賀石川 480        226 敦賀石川 226   
10巻   45 敦賀石川  45        232 敦賀石川 232      
     563 敦賀石川 563        233 敦賀石川 233   
     566 敦賀石川 566        234 敦賀石川 234   
     569 敦賀石川 569        235 敦賀石川 235
     572 敦賀石川 572        370 敦賀石川 370(誤写では?)    
     580 敦賀石川 580        435 敦賀石川 435   
11巻   23 敦石川  23        436 敦賀石川 436       
      35 敦賀石川  35    13巻  21 敦賀    21(石川なし)       
      36 敦賀石川  36         68 敦賀石川  68     
      37 敦賀石川  37         75 敦賀石川  75  
      38 敦賀石川  38         79 敦賀石川  79  
     121 敦賀石川 121         98 敦賀    98(石川なし)  
     128 敦賀石川 128        103 敦賀石川 103   
     134 敦賀石川 134        158 敦賀石川 158  
     137 敦賀石川 137    15巻 353 敦賀石川 353
     195 敦賀石川 195    24巻 472 敦賀石川 472
     205 敦賀石川 205    25巻  21 敦賀石川  21
     211 敦賀石川 211         55 敦賀石川  55 
     216 敦賀石川 216        183 敦賀石川 183
     222 敦賀石河 222
     319 敦賀石川 319          登場回数  63回
     340 敦賀石川 340        平成22年5月23日 ご苦労様。。。            

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